富士登山レース

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富士登山レースが生まれた歴史

富士登山レースは、1953年7月12日に、第1回富士登山レースが毎日新聞社の主催で開催されたのがその始まりでした。
富士登山レースより前のレースは、ダートトラック・レースのようなものばかりが主流となっていました。
浜松周辺のレーサーも、市販車を走りやすく改造して、専売局跡や磐田の城山グランドを走るだけということが多かったという現状でした。
また、公道でレースを行い、警察に睨まれるという方も当時は非常に多かったようです。

その後、レースで技術を争い合うようになり、ついに富士登山レースが開催されるようになったのです。
開催当時、出場車は市販車をベースにしていたのですが、エンジン関係にはかなり手を加えていたようです。

富士登山レースにゆかりがある人物

富士宮市長が大会会長を務め、富士登山レースが開催されました。
公道レースが問題となっていたのですが、こうした問題もレース開催によって解決し、警察側の問題も解消することとなりました。

本田宗一郎の最初の目標が、1955年に開催された第3回富士登山レースの制覇であったと言われており、全国的にも関心度の高いレースであったということがわかります。
過去に行われた2回は、ホンダはレースに出場していなかったのですが、第3回大会では自らが陣頭指揮をとることとなりました。
レース結果は、250㏄クラスではホンダが1.2.5位と圧勝し、125㏄クラスではヤマハに負けるという結果に終わりました。

レースで優勝したメーカー

スズキがダイヤモンド・フリー号で参加し優勝を飾りました
当時のライダーは山下林作選手です。
ダイヤモンド・フリー号は、その以前に市販されていて売れ行きも良かったのですが、この優勝によってよりその売れ行きに拍車をかけることとなりました。
また、スズキは優勝により、名声をさらに高める結果にもなりました。

スズキは翌年、4サイクル90ccの車、コレダ号であるCO型を完成させます。
1954年の第2回富士登山レースに出場し、第二位を大きく引き離して連覇を達成します。
この時のライダーは山下林作選手でした。

富士登山レースの現在

1953年には第1回富士登山レースが開催され、翌年には第2回が開催されました。
また、その後も1955年には第3回富士登山レースが開催され、1956年には第4回大会が開催されたのですが、現在では富士登山レースは開催されていません。

第1回大会ではスズキが優勝メーカーに、第2回は90ccクラスでスズキ、250ccクラスでモナークが、第3回大会では125ccクラスでヤマハ、250ccクラスでホンダが、そして第4回大会では125ccクラス、250ccクラス共にヤマハが優勝メーカーになりました。
当時非常に盛り上がりを見せていた富士登山レース、ぜひともまたこのようなレースが開催されることを切に望みます。