社会現象になったバイクブーム
日本のバイク史において、ブームと共に起こった社会問題についても着目しましょう。
1950代から、ライダーの中でマフラーを外して騒音をたてながら
走り回る『カミナリ族』と呼ばれる暴走族の元祖が現れました。
当時のオートバイとはまだ富裕層に向けた商品であり、まだまだ高価な商品でした。
それを若者が爆音を立てながら、かつ危険な運転をしていたことから
交通事故の危険性を考える者が多くなった者の、社会情勢を見たときに
モラトリアムの一環だと結論付けられ、この『カミナリ族』はある程度は許容される存在でした。
しかし、1970年代に入るとオートバイの市場価格が急落します。
これは、オートバイのメーカー同士の競争が拡大したために、価格競争も激化したことから来ています。
一般ライダーのみならず素行の悪い少年たちに安価にオートバイが普及する傾向が強くなると、
1972年に富山市の城址大通りでの騒動を皮切りとして、
『暴走族』と呼ばれる者たちが急激に増大してきました。
この名前は警察も公文書に用いるほど浸透しており、
それほどの勢力拡大があったことをあらわしています。
暴走族の増加
東日本においては1972年頃から暴走族同士のグループ化が確認されており、
1974年には把握されているだけで86件もの抗争が起こりました。
次いで、1975年には全国で展開した暴走族はその人数を約2万3千人にも拡大し、
さまざまな物で暴走していたと言います。結局、自分たちのチームの自衛を目標としていたのですが、
これらの対立が次第に一般市民の生活を脅かす存在となりつつあり、
それまで出ていた『モラトリアムの範疇』という想定は次第に影をひそめるようになりました。
1978年には道路交通法が改正され、『共同危険行為等禁止規定』が制定され、
一度はその勢いを鎮めたかに見えた暴走族ですが、だんだんとその勢力を取り戻していきました。
このころから暴走族から派生した、仲間と群れを成して走るタイプからひたすらに速さを求める
『街頭レーサー』と呼ばれる、今でいう『走り屋』の原型も登場してきました。
1980年代には暴走族の最盛期となりました。警察庁が調査したところ、年々増えていきました。
半年ごとに人数は拡大し、警察庁が把握している中でも
1982年に4万2510人という膨大な人数になりました。
これらの暴走族が様々な町やイベントなどで台頭してきており、脅威になっていました。
グループ自体の抗争という範疇を超え、
一般市民にも危害が加わるというケースも多々増えてきたのです。
一般市民にも危害を加えたり、様々な人に迷惑をかけたり、
組織だった活動を行う暴走族に対して、徐々に社会の目は厳しさを増していきます。
そういう流れから、2002年には広島で『暴走族追放条例』が施行されたことを起点として、
全国的に暴走族を規制する流れが生まれてきました。
そうして、現在では警察官がその場の状況によって
暴走族を逮捕することが出来る状況が生まれてきており、今日では暴走族は減少を続けているのです。
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