自動車の技術の発展というのは、極限の環境でこそ進化をするものです。
そのために、自動車メーカー各社が、その技術発展の場として選んだのが、モーターレーシングです。
モーターレーシングで培った最先端の技術を、市販車にフィードバックするという手法は、
今でも昔でも行われてきています。
そこで今回は、ホンダにおけるモータースポーツの歴史について紹介したいと思います。
自動車メーカーがモーターレーシングに参加するとき、大きく分けて、
ラリーレースに参戦するか、通常のロードレースに参戦するかの2種類あります。
ホンダの選択
ホンダの場合は、後者を選択しました。
ホンダが始めて本格的に世界最高峰のモーターレーシングに参戦したのは、1964年でした。
自動車メーカーが世界最高峰のモーターレーシングに参戦するのには、いくつかの方法があります。
1962年に参戦を発表したときには、当初は自動車のエンジンのみを供給する予定となっておりました。
しかし、直前になって、供給されるチーム側からキャンセルをされたため、エンジンはもちろんのこと、
車体まで自社で製作をするという「ワークス体制」で臨むことになりました。
そして1965年には初めて優勝を飾ることとなりました。
しかし、その後、市販車用のエンジン開発や、レースの事故などを理由にして、
1967年に活動を休止しました。
その後はワークス体制を取るチームというのは減少し、「プライベーター」と呼ばれる、
車体を自分たちで製造し、エンジンは他から供給を受けるというスタイルが花盛りとなりました。
そして1983年、ホンダは世界最高のモーターレーシングの舞台に復帰をしました。
当時はターボエンジンが登場したばかりで、このターボエンジンというのが、
エンジンサプライヤーにとっては大きな刺激となったようです。
そしてこのときの参戦形態は、前回のようなワークスチームではなく、
エンジンの供給のみという参戦方法でした。
ですので、複数のチームにエンジンを供給することも可能になり、
そのことによって、走行データも多く取れるようになりました。
それによって、大きく成長をすることになったのです。
そして、ホンダがこの時期、このモーターレーシング会を席巻するようになりました。
ターボエンジンを極めました。
ワークスチームとしての参戦
しかし、その後ターボエンジンが禁止され、他のエンジンが台頭して、
さらには市販車の販売不振といった複合的な要因によって、1992年に活動休止しました。
しかしまた2000年に、ホンダは世界最高峰のモーターレーシングに復帰をしました。
このときの復帰も、当初はエンジン供給のみでしたが、
その後はチームへの関与を強くして、車体の共同開発やギアボックスの開発も行い、
2006年には、本格的なワークスチームとして参戦を果たしました。
2006年にはチームが優勝を果たし、
表彰台の上で久しぶりに日本国歌が流れるという感動的な出来事もありました。
そして2008年シーズンを最後に、活動休止をしました。
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